2011年1月2日日曜日

FTA(アジア太平洋自由貿易圏)、TPP(環太平洋連携協定)とどう向き合う日本の農業

農産物の自由化の拡大は待ったなしの状況だ。
現在、政治レベルと農業団体の危機意識は、自らの立つところを揺るがしかねない状況となって、賛成と反対のせめぎ合いが続く。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉から、私達現場に立つ農業者は、歴史から学ぶ洞察力をもって、経験知を積み重ね、強い農業をつくらなければならないと決意するところだ。

強い農業を主張するにはわけがある。
農政は農家数を維持するのか、強い農業をつくるのかというビジョン選定が大事だ。これまで農家数を維持する政策が主流だったため、日本の農政は、①価格政策 と ②需給政策を中心に進められてきた。民主党政権の戸別補償政策もその延長線上にあり、この政策の評価するところは、農家と農協のこれまでの結びつきを新しい形に変えるねらいがうかがわれるところだが、結局構造改革は進まなかった。その姿は、専業農業従事者が農業就業人口の10%以下、兼業農業従事者が90%近くあるという実態が示している。そしてさらに、昭和30年代主流だった複合経営(米も作り、牛も飼い、野菜も、果樹もつくる)を捨て、現在単一作物をつくる単作経営が主流となってきた。変化に弱い経営体質となってしまった。

私は平成元年(1989)企業経営として、農業をする会社を設立した。牛乳、牛肉は完全保護化されているし、規模を拡大することで、「わが世の春」を経験していた。ところが、1991年牛肉、オレンジ自由化がスタートしたのである。自由化の恐ろしさは価格下落のスピードの速さであるが、自分が想像した以上に価格が下がっていく。特に外国と同レベルの品質のものは、市場から撤退していくのである。私は自由化以前、ホルスタイン種の牛肉を1頭当たり3540万円で販売していたが、自由化後、20万から15万円、最終的に10万円以下になるという苦悩を体験した。これは農業をやる人間が「ふるい」にかけられる瞬間である。耐えに耐えてはいるが、規模が大きければ大きいほど、ボディブローのように効いていく。保護農政では、価格維持ができているので、規模を拡大すれば利益が出るしくみとなっているが、自由化は価格下落に応じて経営内容を変えていくフットワークの軽さがないと、廃業、倒産への道をつき進むことになる。本当に恐ろしいものだ。
経営に借金があると、この変化ができない。借金をする段階の計画では、自由化で価格が下落するという変化要素が計算されていないからである。生産の現場では、悪戦苦闘が続くが、消費者の立場では価格が下がり、安い牛肉、農産物が手に入り、選択幅がひろがるし、食卓も外国農産物によってメニューが増える。しかし消費者は、食の危険がしのびよってきていることを知らなければならない。狂牛病、遺伝子組み換え、農薬残留という課題を体験した記憶はまだ新しい。

さて、ここで私達、農業者がどうこの問題に立ち向かっていくのか、方法、方向を見出していかなければならない。
まず、戦後の農政の歴史から紐解き、現代のグローバル化の意味を農業の世界から問い直してみたい。
1959(昭和34)トウモロコシ・エン麦の輸入自由化が始まる
1961(昭和36)大豆自由化
*日本の畜産業に必要なタンパク源飼料は外国に依存し、国内では生産しないという体質に変えたが、これが国内自給率を低下させた大きな原因である。
1963(昭和38)砂糖、バナナの自由化
1971(昭和46)豚肉、グレープフルーツ自由化
1980(昭和55)食品輸入総額世界一位となる。これは外食チェーンの出店数に比例している。
ここで大事なことは、日本の各地で自由化後産地として強くなった地域が数多くあるという事実である。その理由を探求し、成功した要因に気づくと、自由化は恐れるものではないことがわかる。また、上記流れに添って、国内の自給率の推移を照らし合わせてみると、
1959年                  82%
1963年    71%
1971年    60%
1980年    52% 
となるが、自給率低下は、農産物自由化とともに行われた政策誘導であり、自然現象ではない

これからFTATPPにより、待ってましたとばかりにオーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダの乳製品が入ってきて、2年間に渡り、価格は下落し、底までいくことだろう。消費者にとっては、再びあらゆる種類の商品が並び、選択の幅が広がるだろうが、その頃から保護されて手を打てない農家が廃業となり、結果、農家数は著しく減少することになると思う。一方、日本の知識集約型農業者は反転をかける。ここでいう「知識集約型農業者」とは、農業現場に「イノベーション」(生産-製造-流通-販売という、モノづくりの工程において、技術や製品開発にしのぎを削ること) を起こせる人なのだ。
私の場合、農場から生産されるものの品質の向上と商品化を急いだ。牛乳をヨーグルト、バター、ジェラート、チーズへと加工し、年々レベルを上げてきたし、牛肉はハンバーグ、ソーセージ、生ハムと多様化を図っていく。流通・販売においては、「産直」をキーワードに次の展開をしている。
  産地直結  生産者と加工業者が出会う
  産地直売  生産者のつくったものの新鮮さを売る
  産地直流  生産者と消費者が出会う
  産地直送  生産者が消費者に直接送る
この考えはこれまでにない市場の形成になるが、これには必ずキーとなる人の存在が必要である。
命のスープの伝導者である辰巳芳子先生がこのことを積極的にやっておられる。そのおかげで、私のような農業者が、大豆を京都の豆腐屋さんに流通したり、スープ教室の原材料に使っていただいたり、その後も消費者の方々に産地から直送させてもらっていて、来年度は定期的購入サイクルまで発展する。また、「確かな味をつくる会」という先生が中心となって活動する会では、食と農を通じて異業種の方々との出会いがあり、次の商品開発の道へとつながっている。

では、イノベーションパワーを引き上げるために、農政は何をすべきなのか。
まず、重要な経済資源として「強い農業づくり」を進めるため、市場開放前から市場開放後にかけての5年間、時限立法で、農業法人化を促進するため、手厚く補助事業を取り入れることを提案したい。農業を企業化すれば、経営を数字で管理することになるし、農業者自身も意識は大きく変わる。政治から農業を解放することによって、強い農業づくりへの活力をつけることになる。
次に、農政は農業の仕組みを開放系に持っていかなければならない。現在、農業が自立し、経済として成り立っているところは、消費者を巻き込んで、農業をディズニーランド化しているところである。これには地域との結び付きが必要で、今後教育や医療という分野と農業が連携していく形がひとつ、または、ソーシャルビジネス(社会起業)として、環境や福祉との融合も考えられるであろう。
また、日本独自の評価指標を作り、ブランドに変えていくことが必要なのではないだろうか。国土、歴史、文化にあるその地域固有の伝統法をきちんと保護し、ヨーロッパにおけるチーズのように、地域固有名称法を確立してはどうか。これは世界へ出るチャンスをつくることになる。農から発する食をグローバル化の中で生きていくために、見本市や味のオリンピックへ出て、支配的立場に立つための戦略を立てることも大事だ。認知されれば、一気に世界中に広がる可能性もあるからである。

自由化に対応するということは、答えのないものに取り組むことである。
日本を取り巻く環境が劇的に変化しているのだから、我々も変わらなければいけない。
将来につながらない古い産業の温存と見られている農業。しかし個として動き、考えている農業者は、すでに自由化対策に準備を整えている。護送船団できた農家は、現状維持でなんとかなるだろう、というムードを醸成し、改革や挑戦を遠ざけてきた。グローバル化とは、自由化とは、あらゆる変化がリスクで、リスクを恐れて何もしなかったりすることこそ、一番のリスクであることを証明する時がこようとしている。
さぁ、準備はできた。自社の存在意義は、世界の農産物市場の競争にさらされてこそ見出され、ロールモデル(模範と目標)をつくりやすくなる。どのように生きるかというビジョンを描き、専門分野を磨いて常に自らの価値を高める農業者の出番なのである。